名前がです。もう大丈夫です。
過去のアカウント名である「もうしんどい」の方が馴染みがあるって方が多いかもしれません。
名前が変わったことに気づいて「もう大丈夫になったんですね!」とDMを送ってくださるフォロワーさんが思ったより多く、なかなかの指圧で目頭を押さえる日々です。
ありがとうございます。
ツイッターを始めて4年半。今日は、初めて自分のことを書いてみようと思います。
何気取りやねんと思うかもしれませんが、ホンマ何気取りやねん。
よかったら最後までお付き合い下さい。
自分がブスってことに気付く
中学高校と吹奏楽部だった。有難いことに部員からの推薦でどちらも幹部に入っていた。
何やかんや忙しかったせいか、容姿なんて気にする暇もなく音楽に全青春をブチ注いでいた。
でもこの時から自分の顔がちゃんと嫌いだった。
高校の途中から、せめてもの足掻きでアイプチをしていた。
お陰で高校生活の半分以上を涙目で過ごした(ドライアイすな)
高校では、ゴリラみたいな男の軍団(何の貶しでもなく本当に似ていた。※以下、ゴリラ)が毎日昼休みにクラスの可愛い子逹を見にやって来る。
私はそんな可愛い子たちがゴリラに絡まれてるのを、開いてんのか閉じてんのか分からん細い目で何となく眺めていた。そんな私もゴリラだった。
自分が可愛いグループに属さない人間だということは何となく分かっていた。
時は過ぎ、みんなが経験するようなスクールラブのスの字も特に無く私は高校を卒業する。
これは、そういうことなんだなと思った。
そういうことだった。
整形するために行動を起こし始める
大学生になり、地元の楽団に入った。何でか知らんけど1年で退団した。
そのため打ち込めるものが綺麗さっぱり無くなった。
キャンパス内では右向いても左向いても可愛い子ばかりだった。余計に自分の芋くさい顔を気にした。
とりあえず何か変わりたくて、顔中のホクロを一掃しに炭酸ガスレーザーを打ちに行った。ソワソワしながら初めて乗る手術台。
結果、ホクロだらけのブスからホクロが薄くなったブスになった。いや取れてないんかい。
何となくジワジワと、自分のコンプレックスはもっと根っこの部分にあると気付く。
顔のホクロをレーザーで焼くなんて、ラスボスにオンボロ初期装備で木の棒を振りかざしてるようなもんだった。
何の意味もなかった。てか取れてないし。ソワソワ返して。
社会人にもなってアイプチをしたくなかったので、20歳になった私は親が学費のために貯めてくれていた定期預金を切り崩して二重整形をした。
元々この一重で20代を過ごす気はまるでなかった。整形したいと中学の頃から口にしていたので、特に抵抗はなかった。親には一切言わなかった。自分の人生自分で舵取るからァ!
美容整形外科へ足を踏み入れる
手術日、クリニックへ向かう電車の中で、脱線して私だけ死なんかなと思った。
あれだけ極太一重とおさらばできると心待ちにしていた手術が、何かの間違いでおじゃんにならないかなと願っていた。不安と緊張が脳みその中で暴れまくってる感じ。一旦リスケさして。
そんな願いも叶わず無事にちゃんとクリニックに着いた。予約時間は朝一番。
しばらくして受付のお姉さんから、先生がまだ到着していないのでちょっと手術時間が押しますと謝られた。
この時点で何か終わった感があった。
予定より30分くらい過ぎて手術台に乗った。
遅れてきた先生は額にメチャクチャ脂汗をかいていた。いやちょっと待ってよ。
心の準備もままならず麻酔をかけられた。脳みそにだんだんモヤがかかり、耳が遠くなっていく。この瞬間が一番怖かったけど、ビビる暇もなく起きたら終わっていた。
手術台に何とかして乗れれば、あと起きたら終わり。
初めての手術を終えてそう思った。
今まで朝から一生懸命まぶたにノリを塗っていたのがアホらしくなった。
その後も色々な美容外科を回った。
別に最初の二重整形が足掛けとなって整形中毒になったつもりはなく、元々変えたい部分は山ほどあったので、学生のうちに少しでも手を加えたかったんだと思う。
誕生日にひとり東京へ行き、カウンセリングを回ったこともある。めちゃくちゃ惨めで孤独だった。
東京来た 22歳になった 誕生日に整形のカウセ そんな人生 pic.twitter.com/0THyz356ob
— もう大丈夫 (@3_8mg) December 1, 2017
この頃から感じ始めたこと。お金をかけた割にはそれに見合った理想の顔がなかなか手に入らない。何十万も払ってコレ? 言うたらコスパの悪さである。
銀座のクリニックで予め用意してきた理想の症例資料を返され、「これは忘れて。あなたはあなたの可愛いを見つけよう。」と言われたのが今でも心にこびり付いて離れない。
このあと150万の見積書を渡されてガチ泣きしながら夜行バスに乗った。
ごもっともだと思う。結局整形の根本は遺伝子ガチャに基づいてんのよ。
今思えばいい言葉をもらえたなと思った。私は私の可愛いを見つけよう。
当社比で、自信が持てるようになる
大学を卒業した。卒論は死に物狂いで出した。前期で提出しなければ年末の輪郭手術に間に合わないので、何としてでも出す必要があった。たむたむ(ゼミの先生)、ホンマありがと。
もちろんちゃんと就活もしたが、お祈りされたり辞退したりで(整形のために長期休みのある会社が良かった)結局新卒きっぷを使わないまま手ぶらで社会に放り出された。その後知人の紹介で適当な仕事に就いたが、秒で退職しオフィスワークに転職した。
転職先では、周りの先輩に3ヶ月に2回くらいの地味な頻度で見かけを何となく褒められるようになった。何でこんなとこで働いてるの?とか言われた。アッハハ。将来が見えてなくて(苦笑)
そんなこともあり、私が整形にウン百万使った甲斐が少しはあったかもと、ホッとした。
そして今、思うこと
2018年の末を最後に、手術台には乗っていない。
やりたい手術はまだまだあるんだけど、正直まとまった費用を用意するのは大変だし、一括でボーンと貯金を持ってかれるのが惜しい。大金を払ったからって理想に近づく保障なんて無いし。
それに、気づけばもう鏡を見て泣かなくなっていた。これが大きいかも。一旦休もうと思った。
もうしんどいからもう大丈夫に名前を変えたのも、こういう理由である。
ぶっちゃけ完全に大丈夫な訳ではないんだけど、そんなん皆もやんな。
今までは視野の広さが六畳一間くらいしかなかったけど(バカ狭)20畳リビングぐらいにはなった。理由は、新しく夢中になれる仕事を見つけたこと。
現在私はフリーランスのクリエイターとして小さなアクセサリーブランドを立ち上げ、運営している。カッコ良く言うとそんな感じ。(フォロワーさんにもイベント時に会いに来てくれたお客様がいる。泣くほど嬉しかった。)
元々手先は器用な方で細かい作業が好きだった。
1からデザインを考え、材料の仕入れ、制作、撮影、SNSの運営、発送、全て一人でやっている。
もちろん全てが初めての経験だし、1年経っても手探り状態、なんなら前後輪がパンクした自転車で坂道をずっと立ち漕ぎしてるみたいな状況である(限界やんけ)
今までリスクや失敗を恐れて新しいことに挑戦してこなかったけど、成功してる人は失敗する前に悩むんじゃなくて、失敗してから悩むんだってことを知った。
なので、ぶっ潰れてもそれはその時考えれば良いと思っている。
もちろんお化粧やカワイイものも変わらず大好きなので、今後はこのブログを通してそのような発信も続けていきます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
ということで、2年半ぶりの更新でした。最後まで読んでくれて嬉しいです。
ではまた2023年に(嘘やで
もうしんどいからもう大丈夫になられてこっちまで嬉しいです。前からTwitterをフォローしているだけのただのいちフォロワーですが、このブログを読んで泣きそうになりました。これからもしんどい時はあるかと思いますが、もう大丈夫さんが乗り越えられるよう、精一杯応援しております。
メープルシロップさん、コメントありがとうございます。
顔も姿も分からない私にこのような優しいコメントを残して下さるのですから、ただのいちフォロワーというくくりとして捉えられないです。頂いたメッセージ、大切にします。ありがとうございます!
最近東京に住みはじめて周りの人間たちがみんな可愛くて、きらきらしてて
自分がブスだって今更気付いて(ほんとに今更過ぎる)
もうしんどいになっちゃいました。
自分も もう大丈夫になれる日がいつか来るのかな。
rさん、コメントありがとうございます。環境が変わると周りがキラキラして見えますよね。あのキラキラフィルターほんと何なんでしょうね。
人それぞれ、外からは見えない地獄や葛藤があると思ってます。私もまだ正直人生探り探りで不安定ですが、お互い気楽に、少しだけ悩んだりもしつつぼちぼち生きたいですね。多分いつの間にか気づけば大丈夫になってるはずです。